若手専任教員長期在外研究
概要
本センターでは、国際的研究を行う能力・意欲を持つ研究者を養成するため、若手専任教員に対し、在外研究のための旅費・滞在費等の助成を行っている。
2024年度長期在外研究助成 概要報告
吉政知広(教授)・アメリカ合衆国
概要
社会におけるデジタル化の進展に伴い、市場における取引とそれを支える契約法も大きな変容を迫られている。とりわけ、近年、急速に進んでいるAIを用いたビッグデータの活用は、既存の契約法理論に質的な変容を迫っていると考えられる。こうした状況を踏まえ、この度の海外渡航にあたって、主に下記の3点に着目して研究を遂行する計画を立てた。
① 従来の契約法理論が取り組んできた重要な課題の一つとして、多数の消費者等を相手として行われる、大量の、画一的な取引をどのように規制するべきかという問題がある。しかし、今日の企業は、個々の消費者の特性や選好を高い精度で予測して、個別の消費者をターゲットとした広告(パーソナライズド広告)を表示する、あるいは、消費者ごとに異なった契約条件を提示するようになっている。このような、「個別化(パーソナライズド)」された取引形態の規制の要否、さらに規制を導入するする場合の手法等について分析を進めることが喫緊の課題となっている。
② 企業が個々の消費者の特性や選好を正確に予測できるのは、各種のデジタルプラットフォームに蓄積された膨大なデータが存在するからである。デジタルプラットフォームが膨大なデータを有するという事態は、従来、企業と消費者の間の情報力の格差として想定されていた状況とは質的に異なるものであると考えられる。世界各国において、各種のプラットフォームを規制する立法が進められる今日、契約法理論も新たな状況に合わせたものへとアップデートすることが求められている。
③ 上記2点は、企業がビッグデータを活用して取引を「個別化」する場面であるが、今後、規制を行う側である立法者等による各種のデータの活用も進み、法的な規律自体が、個々人の特性に合わせた形で「個別化」されたものになっていく事態が想定される。現在の日本の法律学では、こうした規律に関する分析がほとんど進められていないが、今後の立法等を見据えつつ、新たな形の規律の当否、活用されるべき場面のほか、それがもたらし得る課題を整理しておくことが必要だと考えられる。
成果
ペンシルベニア大学ロースクール(University of Pennsylvania Carey Law School)における在外研究を通じて得られた主たる成果は、下記の3点にまとめられる。
① 上記の研究計画のとおり、今後、個々の消費者の特性や選好に合わせた法的規律が増加していくことが想定される。この度の在外研究においては、渡航前に公表した萌芽的な研究(「契約法における任意規定の『個別化』――その意義と限界に関する研究ノート」法学論叢193巻6号)を進展させる形で、新たな規律において重要な意味をもつと考えられる任意規定(デフォルトルール)の機能をめぐるアメリカの理論動向の分析を行った。その成果の一部は、2025年3月に論文として公表されている(「契約法における任意規定とその変更ルール」法学論叢196巻4=5=6号)。同論文の執筆にあたっては、アメリカ契約法学をリードする研究者の一人である、David Hoffman教授との複数回にわたる意見交換が非常に有益であった。
② デジタルプラットフォームを介した取引の重要性が増している状況を踏まえて、アメリカにおけるプラットフォームの規制をめぐる動向について、私法的な側面を中心に分析を進めた。心理学の知見を踏まえた消費者法研究を進めるTess Wilkinson-Ryan教授との意見交換のほか、UC Berkley Law School主催のConsumer Law Scholars Conferenceにて得られた知見が、研究遂行にあたって有益であった。その成果の一部を、2026年1月にリスボン大学にて開催されるSymposium on Global Private Law(Max Planck Institute for Comparative and International Private Law, Tulane University Law School, Yale Law School主催)において発表する予定である。
③ デジタルプラットフォームは、取引の履行や決済の場面においても重要な役割を果たしている。このような観点から、支払決済の場面における適切なリスク配分と法的規律のあり方についても、アメリカ法学の成果を踏まえた分析を行った。その成果は、2026年初頭に刊行される『支払決済法大系』(商事法務)所収の論稿として公表される予定である。
左:エントランスにて。右:Feldman教授との記念撮影。